私たちのからだは本来的に、治癒力・自己回復力
が備わっています。
ですから、それを活かす方向、もともとの生命力
を十分に活かす方向にもっていくように意識して
それとなく導いてあげるようにするだけでも
その本来の力を発揮しはじめるようにできている
のです。
私たちの日々の生活をちょっと振り返っただけでも
このからだがもともと持つ治癒力・自己回復力を
私たちはなんのかんのと都合のよい理屈をつけ
まったく逆の方向に導いていることが珍しく
ありません。
健康であろうと病気であろうと、つねに
自らの生活習慣に気を配り、より本来の姿に近い
心身の状況にもっていこうとする、生き方の姿勢
をあらわしている表現なのです。
この人間本来の姿を、東洋医学(漢方)の世界
では「中庸」と呼んでいますが、これはすなわち
健康と病気のまん中あたりのことだそうです。
つまり、健康すぎても、また病気だらけでも
いけない。
からだの状態とは、どちらか一方向への偏りが
ないのが一番よいのだ、ということを意味して
いるのです。
「未病」を病気に進みつつある状態と捉えるならば
はやい段階で「未病」のサインを認識し、しかる
べき手を打てばその進行を抑え、本格的な病気に
移行することを防ぐことができます。
冒頭の中国最古の医学書に「未病を治す」という
表現があらわれているのですが、未病は病気では
ないのに、「治す」というのはどういうことなの
でしょう。
単なる東洋医学の言葉として捉えられていたこの
「未病」、最近になってクローズアップされて
きているのは、いったいナゼでしょうか。
その最大の理由は、現代社会に暮らす私たちの
健康をおびやかす高血圧・高血脂症・肥満
(メタボリック・シンドローム)・脂肪肝などの
危険因子が、日本人の全死因の6割を占めている
「三大成人病(がん・心臓病・脳卒中)」につな
がる、まさしく「未病」そのものであるからです。
「未病」という言葉そのものは確かに、東洋医学
から来ています。
しかしながら、現代西洋医学の世界でも、今まさに
問題とされているこれらの病に至る状態こそは
まさに「未病」そのものであり、洋の東西を超えて
今、その治療が求められているのです。
この「未病」という言葉は前述のとおりかなり
ポピュラーになってきてはいるものの、概念的
にまだ統一され、確立された日本語となるまで
には至っていません。
専門組織である「日本未病システム学会」の
定義によれば、「自覚症状はないが、検査で
異常がある状態」および「自覚症状はあるが
検査では異常がない状態」の二つをあわせて
「未病」としています。
「未病」という言葉、最近TVや新聞などでよく
見かけると思いませんか?すでに一部の国語辞典
などにも、掲載されるようになってきていますね。
そもそもこの「未病」、およそ2,000年前に編纂
された現存する中国最古の医学書、「黄帝内経」
の中において、はじめて登場した言葉とされて
います。
日本では江戸時代、貝原益軒の「養生訓」に
この「未病」について書かれた箇所があります。
「未病」とは、一言でいうならば「半健康で
病気に進行しつつある状態」とされています。